勉強会vol.10: 「言葉とイメージの権力性」
2010年11月18日
Posted by
野中光
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10:22
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【知事選】知りたがりist de 勉強会 メモ録
今回の勉強会は社会哲学の観点から、沖国大の桃原先生にお話していただいた。
桃原先生とても気さくな方で、ワクワクする勉強会でした。
しかも、「私はぶっちゃけ伊波さん派だ!」って言ってたり、型破りな感じでしたよ~。
ここまで断言されると、なんか公平中立な感じがする(笑)
哲学的で文字だけでは難しいかもしれませんが、良かったらご一読下さい!
知りたがりism de 勉強会vol.10
「言葉とイメージの権力性」
Guest:桃原一彦 氏(沖国大社会学教授)
2010/11/18
UST動画→http://www.ustream.tv/recorded/10920795
これまでの勉強会でいろいろな先生が知事選について話しているので、
今回は別の観点からアクロバットにお話していきたい。
私も知りたがりismなので皆さんと意見交換していきたい。本日は抽象概念を扱う。
□アナログで成立する私たちのコミュニケーション(複雑性の削減)
私達のコミュニケーションは“アナログ”で成立しているからこそ、日常をスムーズに送ることができる。
アナログとは"analogy"(=類似・相似)のことであり、お互いが頭の中で類似のものをイメージできていることで成立している。
例:「ご飯の大盛り」というときの客と店員の関係は、相似形の「大盛り」のイメージを共有しているなかで、やり取りが成立。
デジタルとはdigit(=指の)という意味で、「指折り数える」つまり「数に置き換える、数値化する」こと。
例:「ご飯、4382粒」というやり取りでは、数字は伝わるが、お互いにあまりイメージが共有できない。
つまり、私たちのコミュニケー損は、ことばのやり取りだけでなく、イメージのやり取りをおこなっているのである。
→そのイメージは、相似形・類似形に基づく「おおよそ」のイメージであり、微細な部分は削減・縮小されている。
□コミュニケーションにおける効率化(複雑性の削減)とは?
1)オバマって聞いて浮かぶイメージ
①「黒人」②「Yes,we can」③「Change」④「核」
→私たちは「O-b-a-m-a」という音を聞いて何かしら一定のイメージを付帯させ、アナログ的に相互了解している。
1つ目はメディアの報道の仕方。2つ目は私達の期待でオバマからいい部分だけを抜き取っている。
オバマ=黒人というが、お母さんは白人。それでなぜ黒人というが。ジェンダー的背景もあるが、戦略的なものもある。
オバマのお母さんはかなり有名なハワイ研究の人類学者。祖父・父は敬虔なイスラム教徒。オバマの中から多くのものが抜き取られている。
オバマは平和的なイメージはあるが、彼の政策はどうだろうか。
オバマは、①「黒人」でない、「改革的(change)」でない「核(平和的)」でない。
→これは、私たちの社会が教諭する、一種のコード(決まり、了解)として拘束性をもつ。
ある社会の中では、このコードに従わなければコミュニケーションはスムーズでなくなる。
つまり、音に与えられたイメージや内容が、私たちのコミュニケーションの重要な基盤となっている。
→言葉の社会性は、その対象(例:オバマ)の社会的位置づけと深く関わる。
私たちは「O-b-a-m-a」という人物を、一定のイメージでやり取りし、あるポジションに位置づける(意味づける、価値づける)構造の中におり、
その拘束されたイメージからの指示を欲望しようとする。
そして「O-b-a-m-a」とは、「~であり、~であり、~である」として社会的に意味づけ、価値付けである以上、
「~でない、~でない、~でない」という区別(distinction、差別化、卓越化)である、分類である。
つまり、記号(イメージ)とは「である」と「ではない」の取捨選択である(包摂と排除の論理)。
□「痕跡」の可能誠意 -デリダの代補(サプリメント)論から学ぶ-
私たちは、対象をイメージに落ち買え、それに勝ちあるところのものを選び取る「シンボル的所有化」を試みようとする。
→対象に関する盲目である、それゆえに「見せかけ」において獲得を試みること。
○代補(supplement):「代理」と「代補」による人為的な策略
代理:対象は獲得不可能であるが故に空虚的(欠如の)存在である。よって、その欠如を埋めようと欲望すいることで
「好都合な、ゆえ”自然な”<代わり>を選び取り「代理」を構成する。
補足:対象について蓄積(保存、隠蔽、忘却)された、余計で過剰な付加内容である。これを「隠蔽」という。
痕跡は、つねに隠蔽され忘却されるが、つねに保蔵される。(決して消し去ることはできない)
つまり、代補とは「代理」で欠如を埋め合わせ、完成されることは不可能であり、「痕跡」を出し入れすることで補っていくしかない。
⇒イメージは変わるものということは分かるということは知っておくべき。(鳩山さんのように。また民主党の保守化など)
□選挙とメディア
昨日、仲井眞優勢という記事が1面に上がった。それによってどう変わるか。
バンドワゴン効果とういうものがある。みんなが歩いているところに行列ができるというもの。
バンドワゴン効果が出て、仲井眞が勝つか。逆に伊波に流れがいくか。
(朝日が昔、戦略的に、自民大勝という記事を出した。しかし自民は負けた。)
Q:新聞がそういうことをしていいのか?
私は、客観中立ということはありえないと思っているからそれには容認。
沖縄の新聞報道は変更報道だと県外メディアはいうが、私は違うと思う。信念/ポジションに経って報道することは必要だと思う。
「メディアは権力と戦うため・メディアを監視するための道具」。知る権利とは権力を持っているところに聞きに行く権利。
沖縄の新聞社が何と戦っていることも知っている。だから知り合いの記者に怒ることもある。
□「仲井眞」、「伊波」のイメージ
「仲井眞」:県政、黄色、自民、おじぃ、経済、21世紀ビジョン、CASINO、基地OK
「伊波」:基地反対、行動的、運動家、優しそう、黄色、オレンジ、宜野湾、グアム
これらのイメージを今後どう代補していくかが今後の両者の課題になる。
□最後に
選挙は政党のためのものではない。政党を意識しすぎると、地域の声が聞こえなくなってしまう。
今回の選挙で、いろいろいな面で初心に戻ってほしい。
桃原先生とても気さくな方で、ワクワクする勉強会でした。
しかも、「私はぶっちゃけ伊波さん派だ!」って言ってたり、型破りな感じでしたよ~。
ここまで断言されると、なんか公平中立な感じがする(笑)
哲学的で文字だけでは難しいかもしれませんが、良かったらご一読下さい!
知りたがりism de 勉強会vol.10
「言葉とイメージの権力性」
Guest:桃原一彦 氏(沖国大社会学教授)
2010/11/18
UST動画→http://www.ustream.tv/recorded/10920795
これまでの勉強会でいろいろな先生が知事選について話しているので、
今回は別の観点からアクロバットにお話していきたい。
私も知りたがりismなので皆さんと意見交換していきたい。本日は抽象概念を扱う。
□アナログで成立する私たちのコミュニケーション(複雑性の削減)
私達のコミュニケーションは“アナログ”で成立しているからこそ、日常をスムーズに送ることができる。
アナログとは"analogy"(=類似・相似)のことであり、お互いが頭の中で類似のものをイメージできていることで成立している。
例:「ご飯の大盛り」というときの客と店員の関係は、相似形の「大盛り」のイメージを共有しているなかで、やり取りが成立。
デジタルとはdigit(=指の)という意味で、「指折り数える」つまり「数に置き換える、数値化する」こと。
例:「ご飯、4382粒」というやり取りでは、数字は伝わるが、お互いにあまりイメージが共有できない。
つまり、私たちのコミュニケー損は、ことばのやり取りだけでなく、イメージのやり取りをおこなっているのである。
→そのイメージは、相似形・類似形に基づく「おおよそ」のイメージであり、微細な部分は削減・縮小されている。
□コミュニケーションにおける効率化(複雑性の削減)とは?
1)オバマって聞いて浮かぶイメージ
①「黒人」②「Yes,we can」③「Change」④「核」
→私たちは「O-b-a-m-a」という音を聞いて何かしら一定のイメージを付帯させ、アナログ的に相互了解している。
1つ目はメディアの報道の仕方。2つ目は私達の期待でオバマからいい部分だけを抜き取っている。
オバマ=黒人というが、お母さんは白人。それでなぜ黒人というが。ジェンダー的背景もあるが、戦略的なものもある。
オバマのお母さんはかなり有名なハワイ研究の人類学者。祖父・父は敬虔なイスラム教徒。オバマの中から多くのものが抜き取られている。
オバマは平和的なイメージはあるが、彼の政策はどうだろうか。
オバマは、①「黒人」でない、「改革的(change)」でない「核(平和的)」でない。
→これは、私たちの社会が教諭する、一種のコード(決まり、了解)として拘束性をもつ。
ある社会の中では、このコードに従わなければコミュニケーションはスムーズでなくなる。
つまり、音に与えられたイメージや内容が、私たちのコミュニケーションの重要な基盤となっている。
→言葉の社会性は、その対象(例:オバマ)の社会的位置づけと深く関わる。
私たちは「O-b-a-m-a」という人物を、一定のイメージでやり取りし、あるポジションに位置づける(意味づける、価値づける)構造の中におり、
その拘束されたイメージからの指示を欲望しようとする。
そして「O-b-a-m-a」とは、「~であり、~であり、~である」として社会的に意味づけ、価値付けである以上、
「~でない、~でない、~でない」という区別(distinction、差別化、卓越化)である、分類である。
つまり、記号(イメージ)とは「である」と「ではない」の取捨選択である(包摂と排除の論理)。
□「痕跡」の可能誠意 -デリダの代補(サプリメント)論から学ぶ-
私たちは、対象をイメージに落ち買え、それに勝ちあるところのものを選び取る「シンボル的所有化」を試みようとする。
→対象に関する盲目である、それゆえに「見せかけ」において獲得を試みること。
○代補(supplement):「代理」と「代補」による人為的な策略
代理:対象は獲得不可能であるが故に空虚的(欠如の)存在である。よって、その欠如を埋めようと欲望すいることで
「好都合な、ゆえ”自然な”<代わり>を選び取り「代理」を構成する。
補足:対象について蓄積(保存、隠蔽、忘却)された、余計で過剰な付加内容である。これを「隠蔽」という。
痕跡は、つねに隠蔽され忘却されるが、つねに保蔵される。(決して消し去ることはできない)
つまり、代補とは「代理」で欠如を埋め合わせ、完成されることは不可能であり、「痕跡」を出し入れすることで補っていくしかない。
⇒イメージは変わるものということは分かるということは知っておくべき。(鳩山さんのように。また民主党の保守化など)
□選挙とメディア
昨日、仲井眞優勢という記事が1面に上がった。それによってどう変わるか。
バンドワゴン効果とういうものがある。みんなが歩いているところに行列ができるというもの。
バンドワゴン効果が出て、仲井眞が勝つか。逆に伊波に流れがいくか。
(朝日が昔、戦略的に、自民大勝という記事を出した。しかし自民は負けた。)
Q:新聞がそういうことをしていいのか?
私は、客観中立ということはありえないと思っているからそれには容認。
沖縄の新聞報道は変更報道だと県外メディアはいうが、私は違うと思う。信念/ポジションに経って報道することは必要だと思う。
「メディアは権力と戦うため・メディアを監視するための道具」。知る権利とは権力を持っているところに聞きに行く権利。
沖縄の新聞社が何と戦っていることも知っている。だから知り合いの記者に怒ることもある。
□「仲井眞」、「伊波」のイメージ
「仲井眞」:県政、黄色、自民、おじぃ、経済、21世紀ビジョン、CASINO、基地OK
「伊波」:基地反対、行動的、運動家、優しそう、黄色、オレンジ、宜野湾、グアム
これらのイメージを今後どう代補していくかが今後の両者の課題になる。
□最後に
選挙は政党のためのものではない。政党を意識しすぎると、地域の声が聞こえなくなってしまう。
今回の選挙で、いろいろいな面で初心に戻ってほしい。